アメリカでの中間選挙

月曜日、翌日の中間選挙に向けて、キャンパスにオバマの妻が来た。16:30くらいから並び始め、セキュリティチェックを受け、屋外の会場に入る。19:00スピーチ開始予定だったが、到着が遅れ、日本だと1月くらいの気温、極寒の中20:00過ぎまで待ち続けることになる。民主党の様々な政治家、学生団体の代表などいろんな顔ぶれがつなぎのために演説、また熱気を冷まさないようにDJがパーティさながらの音楽を奏で、屋外ライブのような盛り上がりを体験できたが、4,5時間屋外で立ち続けで体調が崩れる。
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中間選挙では、上院Senateの3分の1ほどと、下院のすべてで投票が行われる。結果は多くの人々の予想通り、民主党の大敗。上院では過半数を維持したが、下院では共和党が多数となった。人々の期待を一身に担いだオバマが多くを変えられなかった不満が形になり、日本における今夏の衆院選のような様相を呈した。二年だけでは何も変えられないというのはその通りだが、民主党の政策内容がどうであれ、アメリカが直面する不景気と高い失業率が改善されないことへの不満が、オバマ政権へ向けられているみたいである。

また今朝もぐったパネルディスカッション形式のアメリカ政治の講義では、changeとは言ったがそもそも具体的な策を示していなかったオバマへの熱狂が冷めたという分析や、不景気の中の人々の不満が「人種差別(リベラルな人たちへの)」となって結果として現れた、という分析も見られた。
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さて当日、演説に並ぶ際に記入した選挙インターンに参加するため、授業が終わってからホームステイ先より少し北へ歩き、指定された建物へ向かう。二人一組で動くことを伝えられ、よくわからないまま車に乗り込む。ペアになったドイツ人の女の子、ナタリーに尋ねると、僕達の活動は各家庭を個別に訪問して、投票に行ったかたずね、まだであれば今から向かうように伝え、不在の際や住所が間違っていればフォームに記入する、というのが仕事であるみたい。
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僕達が割り当てられた地区は普段から危険なので立ち寄るな、と伝えられている大学の北西部。所得が高くないアフリカ系の人たちが多く住む地区で、散乱するゴミや壁の落書き、精神に異常をきたしさまよう人たちが評判どおりの雰囲気を物語る。一軒一軒果敢にノックし、住人が出てくるのを待ち、Sorry for disturbing, we are volunteer for get out to vote campain, have you voted already?などと聞いて回る。僕はこのタスクだけで恐ろしくて仕方がなかったのだが、一方パートナーのナタリーの熱さははるかに上をいく。路上でたむろし泥酔している若者達に「選挙に行くのは大事なのよ、行動をしなきゃ何も変えられないのよ!」と説得を試み続ける。議論がヒートアップし、「お前ら外国人に何がわかる」と声が荒くなり始め、相手が立ち上がり、そろそろやばいと感じる頃に、ナタリー、まだ回らなくちゃいけないから行こう、と中断させるのも僕の大事な仕事だった。

二時間ほど地区を歩き回り、完全に暗くなった頃、さすがのナタリーも、あまり安全じゃなさそうね、と言いはじめ、迎え呼んで戻ることに。その後、彼女は事務所で各家庭に電話して投票を呼びかける仕事につき、僕は民主党の学生団体に参加するためにキャンパスに戻る。ビジネススクールであるWharton内の教室で、速報を見ながら、学生の落胆に立ち会う。演説で知り合ったクリスはため息をつきながら「アメリカの歴史上最も悪い選挙だ」と話した。
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日本と比べて意識がどうの、とかはまだまだよくわからない。でもこの夏の区長選の手伝いや今回の体験からも、全員に訴えかける選挙とはどこでもかなりの持久戦で地を這うような泥仕事の連続だと感じられた。今回の結果からも、税、財政、社会福祉など、多くの分野でオバマ政権は方針の転換を求められることになる。チェック機能と言えば響きはいいが、人々の意思に動向を左右される分野での、職務の実行と結果の創出は本当に大変そうである。
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# by kokem-omo | 2010-11-04 09:44  

かぼちゃと米国

ハロウィンと聞いても、ロフトやソニープラザ、トイザラスにかぼちゃグッズが置かれるくらいで、あまり馴染みが無い。きっと50年後などにはクリスマス並みになっているのかも知れないし、今の子供達は楽しいイベントとわくわくしているのかもしれないけど、やはり何ともしっくりこない。
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今回はたまたまその時期が米国滞在と重なって、本場ではどうなのか、と体験できる機会がきた。ホームステイ先の母親が、日曜にパレードと食事会が催されると言うので、参加することにした。地元の生活に密着というのは、英語を学びに来た国際的な留学生との交流でなく、上達のために現地の人たちとの交流を第一にした今回の目的にも適うので楽しみである。
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Web上で調べる限りでは、ケルト人の収穫感謝祭が起源であり、その1年の暦の最後となる10月31日に霊や魔女があらわれるとされ、その魔よけのイベント、儀式であったみたい。死者が蘇るとされる点でもお盆と似ており、盆踊り大会などと考えるとイメージがつきやすい。またクリスマスみたいに宗教に限定されにくいイベントであるため、多くの人に受け入れられている、とも聞く。
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3時頃に小さなカフェのある街角に、100人近くの仮装した子連れの家族が集まる。昔はそれぞれの家庭を回り、trick or treat と言ってお菓子をもらっていたみたいだが、安全面などからもこのような地区や町内会のような区域ごとのイベントとして催されているみたいである。大人も子供も、フルーツからキャラクターから動物からipodまで様々に仮装し、1時間半くらいコース上の家庭でお菓子をもらいながら街を歩く。
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その後、6時から近所の交流会に混じる。ホームステイの母親に連れられいろいろ紹介されながら、近所を歩き回る。最終的に僕は親切そうな鉄道工のドイツ系老夫婦の玄関先に居座ることにした。アメリカの鉄道がスイスの、おそらく枕木だと思うが、技術を取り入れる際に技術者として渡米したと言う。Chestnutという栗を剥いて渡してくれる。一昨日より急に20度近くも気温が下がり、夕暮れですごく冷え込んでいたが、サイダーと呼ばれるラム入りでスパイスで煮込んだ暖かいりんごジュースが身体を温めてくれる。
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クリスマスは家族と過ごす日で、ハロウィンは近所の人たちが交流する日であるみたい。お菓子をもらいに来る子供達と同じく(伝統的な、一軒一軒回るスタイルも健在)、この地区に住む家族や学生達もこんばんはーと言って、-に住むーです、などと自己紹介しながらお菓子やジュースを楽しむ。
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東京に来てから夏祭りなどには何度か参加したが、寮の近所の地元の人たちとの付き合いは何か特別な活動をしていない限り皆無である。なのでこうした近所の交流が活発な、米国の都市部の意外な側面に少し感心した。また学生街か、もしくはるつぼだからなのか、ここの人はみんな言葉に優しい。英語が拙くても聞こうとしてくれ、片言でも会話してくれる。身近すぎて強くて露骨で何か好きになれない米国だったが、何事も構築と改善の努力、という側面はかなり好きになれそうだ。
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# by kokem-omo | 2010-11-01 11:54  

ナザロヴァ ズッホラ

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石造りの町並みに映える青に魅せられ、気がつくと何日も滞在していた。中庭にはぶどうのつるが茂り、小鳥のさえずりと異国の女の話し声が心地よく触れる。楽園のような宿でトルストイを読み、午睡し、裏路地からモスク、バザールを散歩する日常に身をまかせる。
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彼女は名前をズッホラと言った。タシケントに居る病気の母に代わって、小さな商店をきりもりする。観光の短大を卒業し、将来はガイドになりたいと話す。そのためには今年中にももう一度学校で英語、韓国語を上達させたい、と何度か僕に言った。
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昼下がりに訪れ、「今日は何を買おうかな」なんてしていると、いつも「どうぞ入って」と彼女ははつらつと言う。居間につながる戸口に座布団を敷き、二人並んで座る。お客が来ると彼女は2、3言かわし、売り物を渡し、お金を受けとり、戻ってくる。「あの子なんて言ってたの」「パン三つ頂戴だって。友達の弟よ、可愛くていい子」。秋の日が優しく差し込み、たわいのない会話と共にゆっくりと時間が流れていく。
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小さな商店は彼女の家につながっており、いとこ、兄夫婦、隣人や友人がひっきりなしにやってくる。その度に持ち前の明るさでこの日本人は何なのかを説明し、タジク語の会話が長く続くと「退屈していない?」と聞いてくる。自然な明るさと屈託のない気配りは、作法を越えたものであり、みんなとの繋がりの中での生活で育まれたもので、決して崩れない。久しく知ることができなかった、調和した共同体の空間。たいてい帰り際に「明日もいる?」と聞くと、「私はいつもいつも店で座っているから」と彼女は答えた。うんざりしているとの表現を用いるが、定めを心得た気持ちのよさなのか、嫌みがなく、その言葉は人を安心させる。
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甥っ子を保育所に迎えに行くとき、「君が母親で、僕が父親だね」と言うと、「ふふ、悪くないね」と微笑む。
サマルカンドを離れる日、彼女はいつもよりメイクして待っていた。「美しくしてくれたんだね」と伝えると、「どういたしまして」と照れながら小さくうつむいた。
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彼女のイヤリングも青だった。その青に安心し、もうモスクの屋根に惹かれ、さまよい歩かなくてもよくなった。でもそれもつかの間、東京には澄んだ青よりも巧みに輝く様々な色が煩く溢れる。信仰するものがうつろい流れていくなか、僕は濁りの中で身動きが取れなくなっていくのだろう。乾いた路地と優しい青、その二つで充分なのに。
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# by kokem-omo | 2010-09-16 01:15  

渋谷区の昼下がり

12:00、ハチ公前。少し前までは心のうちにあった不安が、今ではもう生きられるかどうかという、実生活の域までもを侵食してきている。東京が葬る数多くの夢と未来と不安と不幸の実体を、拾い集め発火させてくれるかのように、伝統的な政治集団が渋谷の真ん中で代弁してくれていた。
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13:00、宮下公園。ナイキが命名件を獲得し、渋谷の新たな魅力となるべき場所は、ホームレスの人たちが多く住む公園だった。そこでは彼らを支える人たちが反対運動を展開する。ビジネスマンや若者の利便性や渋谷の魅力から考えれば、この活動が共感と連帯をどれだけ広げていくのかはわからない。ただ目を向けられるのが難しい人たちの側で、彼らの慣れ親しんだ生活空間を守っているという成果は否定しつくせないと思う。
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15:00、原宿駅前。よさこい祭りへの会社単位での催し物としての参加は、社員同士での結びつきを強め社への志向を高め、結果的に生産性を高めるのに利する、というイデオロギー装置としての効果が大きいといえる。だが、そのようなつながりを見えない権力が行使されていると批判するのではなく、いやいや参加したとしてもそれが生む一体感や所属感の輝きの方こそを称賛すべきというのが、2010年代の正しい見方なのだろう。
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17:00、代々木上原のモスク。夕暮れ時、さわやかな秋風が小高い丘に吹き込む。手持ち無沙汰な神聖な場所は居心地が悪く、ひれ伏す若者をしり目に信仰を持たないことを悔やむ。伝統、社会正義、コミュニティ、宗教。どれも規範を取りいれるという点で自分の中で軸として働き、生活に強さを与えてくれる。もちろん、ステータスや恋愛もその機能を充分果たし得ると思うが、かつ最後の寄る辺として体系が完結した信仰も、持つ者だけが安静を手にしていく。
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日曜の渋谷区には、僕たちが突き放したり擦り寄ったりを繰り返し、頼ってしまう亡霊に満ちていた。それらは傷をなめあうためだけではなく、快活さの一つの支えとなるような時代になればと思う。
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# by kokem-omo | 2010-09-01 00:13  

夏の終わり

ここ2、3日、すっかり涼しくなり、夏が終わったんだなというと少し淋しくも感じる。7月中旬に梅雨が明けてから、キャンプ、屋形船、花火など、夏といえるものは一通り満喫してきた。そうこう離別や恋愛をしてれば8月も中盤に入り、底抜けに青い空と憎めないほどの暑い日々は去っていってしまった。

4月は金融の基本を学び、5月は研究発表の準備をし、6月は選挙手伝いや麻雀をし、久しく体験できないような平凡な毎日を過ごせた。JazzやClassicも借り、興味の幅を拡げてみようともした。そうしているうちに、20代で英語、金融、ITという軸を一人前にできるようと意志もすわってきた。

丹羽宇一郎が駐米中に「アメリカ」と名の付く書物を全て読もうと決意したように、プロ意識のようなものを温めてあるべき自己像を大切にしていきたい。世界中どこでも働けるように、投資やファイナンスなどの華やかな体験もできるように。

また最近、研究に向き合う姿勢について考えることが多い。自分では満足できるほどに哲学社会学を学び、正しさや人や世の中についての認識を育めたと思う。思想的基盤は固まったので次に身に付け学ぶべきはスキルかと考え、正しさで勝負する記者や国際協力よりも学ぶべき実体のありそうな就職先を選んだ。でもそうした過程としての思想という学び方をしたので、納得のおけるある段階を越えると他の人に比べて向き合う姿勢は弱まる気がする。

部活などもそうだったが、そうゆう歩み方を続ければどうしても付き合う人たちや所属するコミュニティが一定しないという弊害が生じる。自分では成長を続けてるつもりでも、結局は2-3流で脱落しているに過ぎない可能性も大きく、趣味の幅が広い老人にしかなり得ないのも歓迎できない。いま選んだ道が落ち着きどころかはわからないけど、憧れに向かって歩めていることを信じるばかりである。

とは言っても、生きていてもいつ生命が途切れるかわからないので、将来に投資する時間と現在を楽しむ時間のバランスを上手に組成しなければならない。結局成功者していると言われる者だけが、後付で過去の経験が今を作るなどと語り続けるだけである。ただ存在するのは、楽しみを我慢し努力に時間を費やせば、今が成功していると思い込まざるを得ない、避けられない納得だけである。

頑張れば報われると信じている者にとっては、今が報われていない状態だと認識するのはあまりにも酷なことなのだろう。可能性だけを信じて自我が肥大化するよりは、妥協上手の方が好きだけど。時間のある学生時代のうちに新しい分野の知を蓄積して精通するのも大切だが、ささやかな食事と散歩だけで幸せすぎるような感覚に、もう一度浸ってみるのもわるくないと思う。

そうして中央アジアに行き、ITの勉強をし、米国で英語を学び、免許や引越や会計の勉強をしてるいちに社会人の始まりがやってくるのだろう。
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# by kokem-omo | 2010-08-12 00:02