小海線、信越本線、長野新幹線。

高原の紅葉は繊細で、お皿にヨーロッパの小さなお菓子が鮮やかに並べられたようだ。あずさ17号は定刻15:00に小淵沢に到着。小海線15:05発小諸行きに乗車する。2両編成のキハ110系はせっせと山肌を登ってゆく。このJR東日本の緑帯の気動車は、新型(もう20年も経つが)で唯一といえるほどローカル線の風景に似合う味のある汽車だと思っている。清里を経て、JRで一番標高の高い位置にある野辺山駅に到着する。碁盤目の農場、牧場に一直線にのびる道が車窓に広がる。高原の開拓地には、北海道と同じような、希望を胸に苦労が積み重ねられた、寂しげなユートピアの香りが染み付いているように見える。
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二両の汽車は穏やかな千曲川に沿って進む。上流で氾濫が無いせいか、堤防は低く、ほとんど流れと同じ高さの河原のを進んでゆくから気持ちがいい。山村特有の田畑の中心に個別に並ぶ墓などが見られ、遠目には浅間山が大きくそびえる。途中、地元の有名私立高校の生徒が多く乗車してくる。同じ駅から乗ったのだろう、穏やかでかつ鋭く、奥が深い目をした男性が座っていた。教養に満ちた風格からするときっと社会か国語の教師なのだろう。常に本質に届かせる問いかけで生徒の好奇心と夢を広げる、Dead Poets Societyみたい先生なのだろう、などと想像しながら高校時代に思いを馳せる。
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終点の小諸駅にはすっかり暗くなった17:26に到着する。そのまま長野行き17:34発のしなの鉄道に乗りかえる。かつての信越本線が長野新幹線の開通により、第三セクター路線へと変わったのがしなの鉄道である。同じく新しく開通した九州新幹線や東北新幹線の一部の並行在来線も、JRと切り離され第三セクターの私鉄として営業している。新幹線の開通によって優等列車が走らなくなり、JRでなくなった私鉄は何とも寂しいものである。こうした感情論だけでなく、実際新幹線化によりルートから外れてしまったかつての優等列車停車駅の街は、大都市圏からの主要なアクセスを断たれ、衰退を一途を辿る運命となってしまう。

真田十勇士で親しみのある真田氏の城下町、上田を過ぎる。自分の地元の和歌山県高野山(九度山)に隠居させられていた馴染みのある武将であり、ちょうどNHK大河ドラマで大阪の陣の場面を見たばかりなので、ここが上田か、と感慨深い。篠ノ井線に合流するとすぐに終点長野で、18:37に到着した。簡単に夕食を取り、未乗区間の一部である信越本線の直江津まで足をのばす。19:42発の妙高9号は一部指定席、189系あさま色の普通列車。往時の信越本線のアイドルは、塗装の錆びさえも見えるくたびれた装いだった。しかしこうして新幹線の接続で活躍して立派な列車名も持っており、かつての魅力を内面に秘めて第二の人生をしたたかに歩んでいる女性のように思えた。
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途中、山奥の駅で列車が後ろに進みだした。何事か、と思うとスイッチバックの二本木駅だった。かつての機関車に引かれた貨物列車や客車は勾配で停車することが困難であったことから、本線から外れた平坦な位置に駅を設けなければならなかった。そのため列車は停車後、本線に戻れる位置まで後ろ向きに進み、再び坂道を登る、というジグザグ運転となる。こうしたスイッチバックの駅も、今では高性能の電車の使用により日本ではかなり減ってきている。

21:19、終点直江津に到着。佐渡へのフェリーが着く直江津は、駅前に古い旅館がいくつか並び、北陸と信州が交わる交通の要所の中くらいの宿場町という印象だ。上杉謙信の城下町である上越市の中心は高田、春日山に位置するようだ。新潟色485系の快速くびき野6号で折り返す。停車駅も車両も特急と変わりないので、きっと低価格高速バスとの競合のため、快速として運転しているのだろう。新井で最終列車に乗り換え、今日の終着点、長野には23:30に戻れた。24:00頃に仕事を上がれるという記者の友人と軽く一杯。筋の通った落ち着きが鍛えられ、武骨さが完成されていた。きっと林檎が彼を漢にしたのだろう。

翌朝、長野新幹線で東京に戻る。ゆっくり寝坊しても、二時間もかからず昼ごろ東京に着く。在来線優等列車の廃止や私鉄化は悲しいが、このスピードと快適さは新幹線の素晴らしいところである。飛行機、高速バスとの競合による高速化、低下価格化。その一方で見捨てられる地方都市と失われていく旅情。哲学や学問の境遇と同じく、ロマンに時間をかけにくくなった社会の、鉄道界への影響を実感した旅だった。
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# by kokem-omo | 2011-11-14 13:42  

北陸紀行

夜の出発もまた素晴らしい。「今晩は何時の汽車ですか」「九時頃の新幹線」「ではそれまでちょっと一杯」。『時刻表2万キロ』にある、金曜夜の同僚とのやりとりである。日常と非日常の交わり。とりわけ全線乗車という異常趣味が同僚にもすっかり馴染んでいる点が微笑ましい。塩分濃度の違いで細胞に水分が浸み入ってくるように、段々と非日常が染みていく夜、そんな始まりもまたくせになってしまう。

雲に覆われた湿潤な朝。横長に四角の重厚な駅ビル。アーケードが深い駅前商店。道行く人々もどこか寡黙に見える。北国の趣きを充分に備えた高岡を拠点に、今回は北陸4枝線、氷見線、城端線、七尾線、越美北線を乗覇する。
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8:08発の氷見線は2両編成のキハ40形。漫画家藤子不二雄A氏が氷見市出身であることにちなんで、1両は忍者はっとりくんが描かれている。乗客の多くは高校生で、友人の母校高岡高校の最寄りである越中中川で下車した。次の駅の能町では貨物専用の新湊線が分岐する。そして汽車は伏木駅へ到着する。伏木港からはかつてウラジオストクまでの客船が就航しており、ロシアとの中古車貿易が盛んであったらしい。根室の花咲みたく小さなロシア街など形成されているのかな、と気になるところだが、今回は通り過ぎる。そこから海沿いを通り、穏やかな富山湾を眺めると氷見に到着する。

海でも散歩しようかと、一本後の9:16で戻ることにする。とても静かな漁師町。途中、カラスが道路にクルミを落とす場面に出くわす。車にひかせて中身を食べるのだろう。代わりに割ってあげようかな、とも思うが、横取りと思われて攻撃されてもかなわない。でも親切とはこちらの心配をよそに往々にして相手の心に届くもので、大切なのは行き違いを恐れない勇気と信念なのである。こちらから心を開かないと相手には届かない。とは言っても今日はカラスが相手なのでやっぱり放っておく。また今度お年寄りがクルミを割ろうとしていたら手助けしよう。

1両編成の折り返しでうとうとしてるとすぐに高岡に着いた。駅から15分ほど歩き友人お勧めの名物ます寿司を購入し、10:28発はくたか2号で金沢へ。時間が経つと固くなるので昼までに食べるべき、との友人のアドバイスにより早めの昼食。脂ののったマスの厚さ、川魚特有の香りを上品に引き立てる酢の加減。そして土台のご飯は重くならず、かといって緩くもなく、口の中に甘さが広がる。これは絶品である。ます寿司なんてただの保存食なのになぜここまで、などと感動に浸っているとすぐに金沢に着いた。
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高層ホテルのビル群から、北陸の中心としての誇りが感じられる金沢。改札下のずらりと並ぶ土産物屋も、小京都に相応しく綺麗に整備されている。11:10発サンダーバード5号に乗り換え、和倉温泉に向かう。本数の充実具合から北陸の特急王国は健在だが、ほぼ681系に統一され、少し退屈である。雷鳥、スーパー雷鳥、サンダーバードの三本立てに白鳥なども加わり、485系でも国鉄色、ボンネット、スーパー雷鳥色などバラエティ豊かだった90年代が懐かしい。

和倉温泉は何件かの高級旅館が中心のコンパクトな温泉街で、ゆっくり泊りに来るにはちょうどよさそうである。綺麗な立ち寄り湯に浸かり、駅までバスで戻り、13:30発のしらさぎ12号で福井駅まで行く。和倉温泉では初めて温泉水を飲んだが、かなり塩辛く、ほんとに身体にいいのか不思議だった。福井もまた先輩や友人たちの故郷であり、駅舎は立派だがたむろする若者が多いのが地方都市らしく粋だった。勝木書店で三浦綾子「夕あり朝あり」、宮脇俊三「時刻表2万キロ」を購入。文庫が非日常を彩るのを手伝う。

越美北線九頭竜湖行きは16:50、首都圏色に塗り替えられたキハ120。風光明美な路線に暗くなってから乗るのは残念だが、三浦綾子を読み切る。白洋舎創業者の五十嵐賢治の生涯を描いた「夕あり朝あり」。奉公、逃亡の繰り返しに出征、監獄部屋での北海道開拓という今では考えられない波乱の青年期からの立身出世の臨場感、それでいてキリスト教的倫理観もしっかり盛り込まれている。定期的にこうして三浦小説から正しさを補給しなければ、東京に流されてだめになってしまうような気がする。福井-九頭竜湖を往復し、20:37のサンダーバード39号で高岡に戻る。

翌朝は乗り残した城端線のために、始発5:56に乗り込む。秋の雨がしとしと降る中、砺波平野の散村がのどかである。城端駅発の折り返しは地元高校生でいっぱいになり、茶色のキハ40、2両は定刻通り高岡に到着する。北陸らしい雲が落ち着いた空模様の中、特急を駆使した(1年分くらいは特急にまとめて乗った気がする)北陸の旅は幕を閉じる。
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[683系はくたか、スノーラビットエクスプレス。華麗なワインレッドを纏う、そのすらりとした脚線美。電車でGO世代にとっての永遠のアイドル。]
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# by kokem-omo | 2011-11-06 05:37  

越後線、弥彦線。

朝の出発は格別である。夜通し遊び続けた会社員やOLは抜け殻のような表情で、彼らに混ざって始発に乗る。自分もたいてい前日は終電まで飲んでいるので、毎回驚くほど体調が悪い。でも東京駅まで着くと、西へ東へ、一番列車が待っている。早朝なのにみんなどこか晴々した表情で気持ちがいい。丸の内の空が白みはじめると出発で、未だ見ぬ路線に心を弾ませる。

国境の長いトンネルを抜けると…の越後湯沢は紅葉が最盛期で、小さな温泉街は黄金色の山々に囲まれる。とき301号を下車し、あまりにも美しいので川沿いを散歩していると8:00発の長岡行きにタッチの差で乗り遅れた。ホームを去る列車を呆然と見送りながら、はてどうしようかと考える。幸い新幹線が並走しているので8:12のとき303号で長岡までショートカット。予想外の出費に心を沈ませ、暗い顔で長岡で朝食のそばを食べる。9:16の普通で柏崎まで向かい、10:16の越後線に乗り換える。新潟近郊は乗客に高校生をはじめとした若者が多く、元気な地域だな、という印象を受ける。
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吉田で乗換え、12:35に新潟に着く。新潟では学生時代の先輩と再会。名物のタレかつ丼をご馳走になる。だしのきいたタレに漬けられたさくさくのカツ。新米だろうか、しゃきっと炊かれた御飯に良く合い、美味い。お互い一年目で仕事の話など近況報告。先輩は変わらず誠実で、水辺が美しい新潟に似合って素敵だった。14:40の越後線で折り返し、再度吉田で乗り換え、弥彦へ向かう。
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赤塗りの神社風の弥彦駅の駅舎。終着駅の小さな町は、徒歩圏内に神社、温泉、公園がまとまっており、cuteという表現がぴったりだ。神社では菊祭りが催され、もみじ谷公園では紅葉が始まり、色鮮やかな一時に癒される。今度は17:20の列車で東三条まで、弥彦線を制覇する。時刻表上で吉田で乗り換えとなっているが、同じ277Mがそのまま東三条行きになる。越後線と弥彦線を完乗したところで帰京してもよかったのだが、東三条で信越線に乗り換え、長岡発18:53の普通列車で越後湯沢へ。
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今朝乗り過ごさなければ、と後悔しながら、新潟地区のもう一つの未踏区間を乗車する。以前中学3年の時に只見線、飯山線を乗り、その際に通過した小出-六日町を除く区間が、今回初めてとなる。暗闇の中、列車は峠に向かって登っていく。20:11、定刻通り越後湯沢に到着。駅前の温泉でゆったりと休み、短い秋の旅を終える。
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# by kokem-omo | 2011-11-06 05:02  

根岸線、鶴見線、成田線。

なぜ鉄道のことばかり考えてしまうのだろう最近、と思うのだが、それはきっと鉄道の日が10月14日だからで、昨今の鉄道ムードの世の中に何らか影響を受けているんだろう。今回は乗り残している根岸線、鶴見線と南武線支線、成田線の制覇を目指す。
          [列車を見送る猫。扇町駅にて。]
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平日の疲れが取れずぼーっとした頭で大船14:41発の根岸線大宮行きに乗り込む。車窓を埋め尽くすマンション、一軒家を見ていると、上場企業勤め、綺麗な家、いい車、子供たちへの充分な教育、なんか人生ってそうなのかなーと改めて考えてしまう。そんな思春期じみたことを思いうつらうつらしていると、新杉田あたりで不意に海が見えた。これにつづく根岸駅、磯子駅なども山がせり出し海が迫り、横浜だとすればこのあたりが「コクリコ坂から」の舞台なのだろうか。今でさえ工場、高速道路、マンションが所狭しと並ぶが、往時はさぞ素敵な環境だったのだろうと思いを巡らせる。山手を過ぎ、トンネルを抜けると石川町。周囲がすっかり横浜らしくなってくると根岸線の旅も幕を閉じる。

青帯の列車はそのまま北上し、本日第二の目的エリア、鶴見へ。関東エリアで最も複雑で攻略困難(支線が複雑+本数少ない)と思われる京浜工業地帯の路線群に挑む。鶴見駅15:40発の黄帯、205系三両は浜川崎駅行き。鶴見駅では改札を越えての乗換、短い駅間距離、独立した電車庫(鶴見小野駅付近)など、前身が私鉄と思わせる施設が独特である。京浜地帯らしく、乗客には中高生の他にアジア、東南アジア系の人たちも多い。この路線はほぼ工業地帯の中を走り、乗客もほどんと工員である。弁天橋駅は旭硝子、大川駅は日清製粉の最寄り、また浜川崎駅のJFE専用改札、海芝浦駅は東芝社員以外駅から出れず、といった具合である。

浜川崎駅で南武支線に乗り換え。同じ駅でも鶴見線の改札を出て、道路を渡り、南武線に乗り換える。乗り残した浜川崎ー尻手間を16:30発の205系2両で往復する。父親、女の子、男の子の親子連れが座る。漫画週刊誌を読んでいる父親、子供達は退屈そうである。しかし電車が動き出すと子供達と一緒に車窓を指差し、すっかりいいパパに変わる。やはり電車は偉大だ。

浜川崎に戻り、16:48発の扇町行きに乗り込む。扇町は終点だが、線路は右に左へと工場の中へと伸びて続いている。折り返しで浅野駅まで戻る。すっかり暗くなり、秋の虫の音が心地いいホームに17:27発の海芝浦行きがやってくる。終点の海芝浦は東芝社員専用の駅。ホームは海、運河に面しており、駅からは出られないが構内に海芝公園が併設され、ライトアップされたつばさ橋が見えたり何とも素敵である。休日出勤を終えた工員でいっぱいになり、列車は折り返す。浅野駅で再度乗換え、今度は大川支線へ。小学生の頃、電車図鑑で見たレトロなクモハ12が走っていた路線。大川支線は朝晩平日は9往復、土日は3往復の攻略難路線である。

何時間も行ったり来たり乗換たりを繰り返し、18:13に鶴見に到着し、無事に京浜工業地帯の旅を終える。そのまま夕食をとり、京浜東北線で日暮里まで北上する。あとは惰性で常磐線快速を我孫子まで行き、20:36、第三の目的路線、成田線に乗り換える。E231系10両という堂々たる編成でも単線。乗降客を見ると、お出かけ帰りの人たちが大半で、郊外の住宅街の中を走っているようである。列車は暗闇を淡々と進み、終点の成田駅へ。なかなかペースよく関東3路線を制覇したが、九州をはじめ未踏路線は多い。鉄路を歩む探求はまだまだ続く。
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# by kokem-omo | 2011-10-23 01:07  

昼下がりの烏山線

ジャズの生演奏で賑わうコンコースを抜け、9番線への降り口へ立つと、そこではすでにディーゼルの排煙が香っていた。白地に緑帯の烏山線色、ワンマンのキハ40系二両は15:10、定刻通り宇都宮駅を発車した。
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小学5年から本格的に始めたJR全線乗りつぶしプロジェクト。現在、関東圏内では鶴見線・南武線支線、御殿場線、成田線、水郡線(常陸太田支線)、吾妻線(長野原草津口ー大前駅間)、根岸線、そして今回訪れた烏山線が残っている。上京して7年になるが、いつかいつかと思っているうちにこれだけ残してしまったのは恥ずべきであろう。先日会ったゼミの先輩やインターンの時の同期が赴任しているとも聞いていたので、栃木が何となく気になり始め、烏山線にやってきた。
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完全な都市近郊型のロングシートの車内に柔らかい秋の日差しが差し込む。部活帰りの高校生、お年寄り、若干の鉄道マニアなど、約30人の乗客。宝積寺駅までの二駅は東北本線を走り、そこから右手に大きくカーブして、下野花岡、仁井田でそれぞれ4、5人下車する。暖かい陽気に乗客は午睡にまどろみ、田園風景の中をのんびり進んでゆく。真っ赤に実った柿や、黄金色にこうべを垂れる稲穂。また収穫を終えた田んぼも多く、放射能の影響なく無事に出荷できたのだろうかと心配になる。
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小さな丘をゆったり登りきると、鴻野山駅に到着する。牛舎なども見えたりして、ますますのどかさが増す。次の大金駅で、旧国鉄色の宇都宮行きと行き違いを行う。烏山線の2011年4月15日の88周年を記念して、キハ11形イメージした塗装に変えられたのだという。キハ40、58の朱色、クリーム色に赤帯などもしかり、やはりローカル線には旧国鉄色が良く似合う。
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小塙駅を経て、トンネルを抜けると滝駅に着く。この周辺での、9月の台風15号による土砂崩れにより、烏山線は9月21日-23日の間、不通であった。幸い2日間で復旧したが、龍門の滝との2ショットで有名で豊かな自然に囲まれているだけに、その影響も直接に受けてしまう。

時刻通り16:01に終点烏山駅に到着する。約半分の乗客が終点まで乗車していた。烏山駅の駅舎は那須烏山市の近代化遺産に指定され、立派な木造駅舎が健在である。駅前は閑散としているが、一軒、「鮎」と書いた看板の店が目についた。那珂川の流域とその支流に囲まれた烏山では、「やな」という鮎漁とその観光体験が有名らしい。川の途中に流れの水をこすように竹の構築物を設置し、流れてきた魚が上がるのを待つやな漁。鮎の掴みどりなどもできるみたいで、いつか体験してみたい。
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帰りも同じキハ40ニ連で、16:38に烏山駅を出発した。車窓に目をやると、電車に手を振る親子、自転車で並ぶ高校生の男女。そこには生活があり、地元の暮らしを思い出した。以前プロボノの講演で、ある団体の代表が、どんなにつまづいてダメになったとしても、自分にはガンダムがある。最悪の場合でも何かの仕事をしてガンダムに囲まれるだけで幸せに生きられる、だから挑戦できる、と言っていた。その言葉はほんとに感動的で、僕には鉄道があるので、ベーシックな生活で、鉄道を想い、野菜でも育てて、釣りして暮らせればそれはとても幸せな人生である、犬など飼えればなおいい。だから東京の日常生活など、極度に負荷をかけて社会・将来へ向けさせても、あまり不安はない。

小さな二両の汽車は、すっかり暗くなった宇都宮に到着した。名物の餃子をつまみながら、来るべき東京の月曜へと思いを引き締める。
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# by kokem-omo | 2011-10-16 23:37