フィリピンにおける海外雇用政策の推移

―日本へ送り出される女性エンターテイナーの問題を中心に―

【目次】
0.はじめに
1.海外就労の歴史・制度
(1)海外雇用政策の歴史
(2)日本へのエンターテイナー
2.女性エンターテイナー
(1)日本に来るまで
(2)偏見・蔑視の問題
(3)帰国後、祖国での蔑視
3.バティス女性センター
4.最近の動向
(1)看護師・介護福祉士候補の受入
(2)JFCの国籍取得
5.むすびにかえて
◇参考文献

0.はじめに
日本全国どんな地方都市であっても、歓楽街では必ず「フィリピン・パブ」と灯るネオンが目に入る。大泉学園も武蔵小金井も例外ではない。なぜ特定の国の女性たちが、知らない外国の夜の町で仕事するのだろうか。そこではどのような女性たちが、どのような仕事をしているのだろうか。単に「出稼ぎだ」と答えるとしても、制度の問題から境遇の問題まで、なぜこういうことになっているのか、なぜ容認されているのか、考えてみるととても不可解なものである。今回はこうしてエンターテイナーとして働くフィリピンの女性たちに焦点を当て、彼女たちを取り巻く問題や制度、そしてその支援体制などに関して書きつづっていきたい 。

1.海外就労の歴史・制度
(1)海外雇用政策の歴史
 海外へのフィリピン人労働者の歴史は20世紀初頭、ハワイやアメリカ西海岸のプランテーションで、果物農場や缶詰工場で働いたことから始まる。この時期は出稼ぎ労働の第一期と呼ばれ、これには1898年の米西戦争の結果、フィリピンはアメリカの植民地となったことにより他のアジア諸国とは異なり、1917年の移民制限法の影響を受けなかったことが背景にある。
 次に、第二期としては第二次大戦後の軍用基地建設のための米軍からの雇用の需要によるものである。こうして多くのフィリピン人労働者がグアム、沖縄やウェーク島などで働くことになる 。またこれに加えて専門技術を持つ者(会計士、看護師、医師)が職を求めてアメリカに渡ることも増え、この時期は頭脳流出の時代とも呼ばれる。
 そして第三期にあたるのは70年代の半ばには何十万人ものフィリピン人男性が中東へ渡り、建設業や製造業に従事する時期である。これにはオイルショックとそれによる景気上昇に沸く中東諸国の労働力需要と、当時のマルコス政権が失業問題、外貨獲得、新技術の導入を目標に海外雇用政策を導入したという二つの状況が背景にある。74年の新労働法の下でのこの「積極的送り出し」という海外雇用政策は、当初は「短期的政策」としてのものであった。だが86年には送金額が国家予算の13%を占めるに至り、次第に海外雇用への国家的依存が高まっていくことになる。
 さて、ここまで見てきた1~3期においての海外への出稼ぎは、第一次、第二次産業に従事する男性労働者がほとんどであった。だが中東での工業建設の減少を皮切りに、次第に国際的に求められる労働力はサービス関係の領域(事務、医療、家庭、エンターテイメント)へ変化していく。こうして80年代にはサービス業に従事する女性の海外への労働が増加し始め、90年代半ばには男性のそれを上回り、「出稼ぎの女性化」と言われる第四期に入る。
 この第四期と言われる時期に、80年代後半に打ち出されるのが、アキノ政権の下での「海外労働者保護」対策である。これは「出稼ぎの女性化」のもとで、特に多くの数を占める家政婦としての家事労働において、劣悪な労働条件や雇用主からの肉体的・性的虐待などの被害が問題化されてきたという背景がある。人種差別の対象となる外国人であり、なおかつ立場の弱い女性の、価値の低い働きとされる家事労働は、問題の可視化が難しいという点からも、契約違反や虐待などの問題の温床となる。こうした問題やいくつかの事件が起こったこともあり、ラモス大統領下で「労働者保護」、「熟練労働のみの送り出し」、「海外雇用の最終的な停止」を目指す「95年法」が制定される。
 だが2001年にはアロヨ大統領が経済回復まで海外労働者がまだ必要であるとの見解を示したことからもわかるように、国内経済の不調からも海外労働者の停止までには依然として大きな距離がある。祖国から離れ、日本でのようなパブやスナックで働くエンターテイナーを始め、家政婦、建築業や工場、船員、介護の現場で働く人たち。現在、フィリピン海外労働者は合法非合法を合わせ約700万人(フィリピン全人口の1割)いるといわれる。

(2)日本へのエンターテイナー
 次に、日本で働く女性エンターテイナーの歴史について述べたい。これまで日本政府は国内の風俗産業での労働力不足を補うため、フィリピン人エンターテイナーの入国を促す措置をとってきた。1981年、東京とマニラの間でエンターテイナーのビザ発行を促す協定が結ばれることで、短期の興行ビザ により合法的にパブやスナックなどの風俗産業での出稼ぎが可能となった。これには70年代に大変盛んであった日本人男性のアジア諸国への売春ツアーが、抗議により自粛追い込まれたという背景がある。これにより、逆にアジアから風俗産業に従事する女性を輸入するという構図が生まれる。こうして年に数10万人もの外国人女性が、日本の風俗産業の最底辺で就労していたといわれる。
だが、2005年の入国管理法の改正によりこの傾向に大きな変化が見られることになる。日本は、2004年に米国国務省の「人身売買報告書」により人身売買防止のための法整備と被害者保護の不十分さが指摘され、監視対象国に指定された。こうした批判を受け日本政府は2005年に入管法を改正、「外国の国若しくは地方公共団体又はこれらに準ずる公私の機関を有すること」という規定が削除され、従来のように「興行ビザ」の取得によるエンターテイナーの入国が困難になる。こうしてフィリピンからの「興行ビザ」による新規規入国者数は2004年の82,000人強から、2006年には8,608人と10分の1に激減した。
 だが法や制度の整備からはすぐには安心することはできないという状況がある。全国外国人芸能人連絡協議会(2003)の調べでは、招聘期間と出演店を合わせた外国人エンターテイナー業界の産業規模はかなり大きいものであることが表れている。これは年間売上高約6,300憶円、雇用規模11万人という、遊園地やテーマパークの年間売上高を上回る娯楽関連産業の中ではゴルフ場に次ぐ規模なのである。そのため、法改正や罰則強化などに規制でも流れを止めることは容易ではないことが明白であり、オーバーステイなどの法的に弱い状況での従事が増加し、経済的・性的搾取などの問題が大きくなることも想定される。

2.女性エンターテイナー
(1)日本に来るまで
次に、これらの女性がどのような過程を経て日本にやってくるのか、ということについて説明したい。
 はじめに、女性たちはプロモーションと「来日に必要な手続き費用(借金)⇔日本で稼いだお金(コミッション、極小の手取り)」というような契約を結ぶことから始まる。これには口コミや、雇われたマネージャー、スカウトマンから声が掛けられることがきっかけとなる。一つのプロモーションは20-100人ほどのエンターテイナーを抱えており、3-6ヶ月、長いときは一年以上にわたるダンサーや歌手としての訓練の後、技術教育技能開発庁が行っている実技試験にパスさせ、芸能経歴証明書というエンターテイナーとしてのライセンスを取得させる。
 ライセンスを取得した女性たちは、日本のプロモーターが参加するオーディションに合格しなければならない。フィリピン海外雇用庁から正規に認可された現地の派遣業者を仲介に、現地のプロモーター、マネージャーはエンターテイナーをオーディションに参加させ、日本のプロモーターは契約を結ぶエンターテイナーを選び出す。
 そして日本のプロモーターは、その女性を入国し働かせるために入国管理局から在留資格認定証明書を取得しなければならない。その証明書とパスポート、他の書類などを日本大使館に提出することで、6ヶ月間のエンターテイナーとしての入国と労働が認められる「興行ビザ」が発行される。

(2)偏見・蔑視の問題
 こうして歌やダンスの訓練を経てライセンスを取得し、来日に至るのだが、実際の業務は酒の席での男性の接待なのである。そこでは就労の部分だけでなく、日本での生活全般において偏見とそこからの身の危険が伴う。
 小熊英二は大日本帝国の状況を「有色の帝国」という言葉で、西欧への憧れと対抗意識の中で揺れ動きながら、弱者への支配を行う状態を描写した。経済では日本の状態は当時と比べては強者になっているのだが、文化的ヒエラルキーなるものではまだまだ「有色の帝国」の状態にある。欧米研究専攻の毎日など憧れの部分では特にそうだと思うのだが、他方ではアジア諸国に対する文化的、経済的支配や蔑視が根強く社会に蔓延っている。
 女性エンターテイナーのイメージに関しては、「日本社会の中にあるほとんどのフィリピン人女性ホステスやダンサーが売春している」というものが非常に強い。実際のフィリピン・パブやショー・クラブでの主な業務は、客のお酒や会話、カラオケの相手や、ステージでのダンス等なのである。法務省の調査でオーバーステイのエンターテイナーのうち、ストリップや売春に従事していたのはそれぞれ3%ほどと、極僅かであったことが明らかになっている。
実際、パブや居酒屋で働くフィリピン人女性は、このような「フィリピン女性=娼婦」というイメージのもとで、行為の強要には及ばなくても、聞くに堪えないセクハラの如き発言に始終つきまとわれることになる。売春の強要、性的暴力の危険が常につきまとう不安定で立場の弱い就労は、制度面の不備だけでなく、このようなイメージ、認識から作り出されるという面も決して見逃してはならない要素であるだろう。この点からもいくら法的に保障されているとしても、「興行ビザ」でエンターテイナーとしての来日という制度自体問題化されるべきものであった。

(3)帰国後、祖国での蔑視
 エンターテイナーの就労が、社会的汚名をきせられる対象となるのは、フィリピンでも同様となる。日本へ女性エンターテイナーとして働きに出る彼女たちは「じゃぱゆきさん」と呼ばれ、不道徳な仕事に従事するものとして別の見方をされるのである。
これには日本と同じく男性が外で働き生計を立て、女性が家族のために働くというフィリピンの家庭観に根ざすところもある。父親は「一家の大黒柱」として、母親は「一家の灯り」として捉えられるのである。そのため、母親が外に働きに出るのも、「一家の灯り」としての役割をはたすための、家族の内を絶望的な困窮から守るためのものとなる。だが、そのような家庭観のもとでは、就労の業種に関して母親が「一家の灯り」としての役割を逸脱しないような道徳的制限が自ずと課されることになる。そのため女性エンターテイナーとしての海外での就労は、あるべき家庭観や女性観とはかけはなれた不道徳の対象として捉えられることがわかる。
このことからも、帰国後の実際の経済的困窮だけでなく、社会的な自律や地位向上も難しい状況に追いやられることが明らかになるのである。

3.Batis Center for Women(バティス女性センター)
バティス女性センターは、問題を抱えて日本から帰国するこうした女性たちを支援するNGOである。彼女たちを苦しみに満ちた状態から回復するよう支援し、行き詰った人生や夢を立て直し、元の平穏な生活が送れるように支援していくことを目的に1988年に設立された。
もちろん全てのエンターテイナーが問題を抱えているわけではないが、異国の地で彼女たちの多くが法的にも経済的にも、文化的にも不安定な弱い立場に置かれていることは言うまでもない。苛酷な労働、不当な経済的搾取、売春の強要、性的搾取、家庭内暴力(DV)。麻薬取引に巻き込まれることも多く、シングルマザーとしての厳しい暮らしやその子の法的地位・養育費の問題もある上、さらに本国での蔑視も付きまとう。
 こうした女性たちに対し、バティスは喫緊の問題だけでなく中長期的なエンパワーメントの達成を目指し、自分の人生を自分でコントロールできるように支援を提供する。そしてこれは四つのプログラムによって運営される。一つ目は「女性のためのエンパワーメント・プログラム」であり、セミナーやワークショップにより帰国女性たちの知識と意識を高める活動を行っている。次に「子どもと若者のための発達プログラム」は、JFC(Japanese-Filipino Children)と呼ばれる日比国際児に対する支援に当たっている。母親がエンターテイナーの出稼ぎ労働者であることや、自分たちがJFCであるということでこうした子どもたちが抱える問題に対し、アイデンティティや人格の確立と自尊心や責任感を高めることを目的とした活動を提供している。「ソーシャル・ケース・マネジメント・プログラム」では、日本から帰国した女性が抱える労働問題、日本人男性との間の子どもの認知・養育費などの家族問題に対する個別の支援を提供している。最後に、「情報、教育、リサーチ・プログラム」では、女性出稼ぎ労働者問題についての意識と関心の向上を目指した啓発活動を行っている。
これらのプログラムを、子どもたちの組織であるバティス・ヨギ(Batis-YOGHI=Youth Organization Gives Hope and Inspiration)と、女性たちの組織であるバティス・アウェア(Batis-AWARE=Association of Women in Action for Rights and Empowerment)との連携によって進めていく。

4.最近の動向
(1)看護師・介護福祉士候補の受入
フィリピンからの労働者の受入に関しては、人身売買と批判された「興行ビザ」でのエンターテイナーの入国を制限する代わりに、看護師や介護福祉士の受入れを促進しようとする動きもある。
 2006年9月に小泉首相とアロヨ大統領の間で日比経済連携協定(日比EPA)が結ばれ、厚労省は看護師候補400人、介護福祉士候補600人の受け入れを示した。この協定では、来日した候補者は半年間日本語を学んだあと、病院で働きながら研修する。看護師は3年、介護福祉士は4年以内に日本の国家資格取得を目指し、それが取得できないと帰国しなければいけない仕組みとなっている。
この制度での受入ではインドネシアとの同様のEPAが先に発効され、8月7日に看護師・介護福祉士候補205人が来日した。フィリピンとの協定では、半年間の日本語学習で国家試験の取得を目指さなければいけないという無理のあるものとされ、フィリピン看護師協会からの反発もあり、批准が遅れていた。ヨーロッパ諸国では受入国と送り出し国との圧倒的な経済格差の中で、頭脳流出を起こさないように市場論理を抑制するため、受入国側が経費や帰国後の待遇を支援するというケースもある。短期間の日本語学習、不合格なら帰国という粗末なものではなく、日本もより公正な枠組みの検討が必要とされるだろう。なお、日比EPAは10月8日にフィリピンの上院で承認され、受入に向けた動きが進展していくと考えられる。

(2)JFCの国籍取得
 また、6月4日に出された最高裁の国籍法違憲判決もこの問題に関連して、状況の大きな改善をもたらすだろうと考えられる。これは、結婚していない日本人の父とフィリピン人の母から生まれた子ども(JFC)10人が、日本国籍の確認を国に求めた訴訟であり、一審で違憲判決が出たものの、二審では憲法判断に踏み込まず逆転敗訴となっていた。最高裁の判決は、出生後に認知された子だけに両親の結婚を国籍取得の条件とする国籍法の規定は、憲法14条の「法の下の平等」に反し、違憲であるとして、子どもたちに国籍を与える、というものであった。
  国籍法の2条1号では、結婚していない外国人女性との子どもであっても、生まれる前の段階で父の認知があれば、国籍を取得できるとされているが、同3条1項では、生まれた後に父に認知された場合でも国籍法の取得には父母の結婚が必要となる、と定められている。今回のケースがこれらの法の不備が明らかになったのだが、国境を越えた人の移動が一層拡大する環境の変化に、対応できるような国籍法に改正されることで、彼らの日本での権利の拡大、正常化への改善が進展することを期待する。

5.むすびにかえて
05年の入管法改正、06年の日比EPA、08年のJFCの最高裁判決等、現在は今回の発表で用いた資料では追いつけないほどの過渡期にある。これにはなまの統計や新聞、雑誌、聞き取りなどで身を持って学んでくるしかないのだが、かかわり方として重要なのは、これは女性だけの問題ではないということだ。すなわち、自分の恋人、母、姉、妹、娘が、身売りのような形で海外の夜の街で働くことは、誰にとっても、少なくとも喜ばしき経済の状態ではないということである。「我々の女を守る」という「ジェンダー化されたナショナリズム」と呼ばれる現象があるらしいが、いずれにせよ、これから主体的に改善へ向けて取り組み、学んでいきたい。


【参考文献】
DAWN『フィリピン女性エンターテイナーの夢と現実――マニラ、そして東京に生きる――』(明石書店、2005年)
伊藤るり、足立眞理子『国際移動と〈連鎖するジェンダー〉――再生産領域のグローバル化』(作品社、2007年)
小ヶ谷千穂「フィリピンの海外雇用政策――その推移と『海外労働者の女性化』を中心に」『移民政策の国際比較』(明石書店、2003年)
武田丈編『フィリピン女性エンターテイナーのライフストーリー エンパワーメントとその支援』(関西学院大学出版会、2005年)
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by kokem-omo | 2008-10-28 23:36  

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