博士論文「ミシェル・フーコーの統治合理性批判」を読む

 今回の発表では李さんの博士論文読解により、統治性研究の領域からフーコーの理解を深めることを目的とする。この勉強会により各々のフーコー解釈が深まり、日韓両国におけるフーコー研究の前進に大きく寄与することを期待する。さて、この論文は四章立てであり、78年講義『安全・領土・人口』と79年講義『生体政治の誕生』を中心にフーコーにおける統治性研究を包括することで、その政治性を汲み取ろうと意図されたものである 。第一章ではフーコーの統治性研究を権力論の最終章として捉えることで、その政治性を際立たせていくことの重要性が述べられる。そして第二章、第三章では78年講義を扱うことで司牧理性から国家理性への展開を把握し、第四章では79年講義を通して自由主義についての展開を追っていく。以下、第一章から順番に要約していく。

第一章 フーコーと政治
 「はじめに」で示されるのは知、権力、主体を軸としたフーコー認識、フーコーにおけるカントの経験、そして統治性を扱っていくことへの導入である。知と真理を語ることは真理と権力の結びつきを考えないでは為し得ないものであり、それは権力の行使に他ならず、そこでは主体の変化が伴う。このような知と権力と主体の関係はニーチェ受容の影響が大きく、そして同時にこれとは別の場所にあるのがカントの経験である。カントの経験の特色は政治的合理性との対峙において際立つ。そこから汲み取ったのは「中断なき反復」を要請するような批判であり、「個別領域」で為されるような哲学の営みなのである(ⅲ)。
 このようなフーコー認識を基礎に統治性が取り扱われていく。資料の希薄さが統治性研究での障害となるのだが、それでも米谷(重田)園江が先駆的な研究を進めている。この論文ではこのような既存の研究よりも統治性論が含む思想的・政治的含意にさらに重点を置きながら、統治性研究以前のフーコーの言説を参照していくことで展開されていく(ⅳ)。

 次に第一章に移るが、まず78年と79年度の講義について説明される。78年度の講義では四回目以降で統治性の分析が扱われ、キリスト教司牧の制度、国家理性論、ポリス国家とその歴史が記述されていく。そして79年度講義では新自由主義を含めた自由主義がテーマとして扱われていく。これらのフーコーの分析に拠ると、統治性の進化は国家理性、重商主義、重農主義と自由主義、新自由主義と推移していることがわかる。このような統治性研究はフーコーの権力論の最終章として位置づけることができる。権力という概念に比べ、ポジティブな意味合いで捉えられることが多いこの「統治」が生み出す否定的な効果、この逆説的な効果こそがフーコーを統治性研究に向かわせたのだろう(1-3)〔1-1〕。

 そして次に注目されるのが「独自な一般性」と「政治的なもの」という概念である。まず「独自な一般性」であるが、これはフーコーの歴史分析の一つの特徴を表すものであり、また統治性の領域に移ったときには別の意味になり、ここではスネラールの分析を中心に進められる。78年の講義では統治性の概念は国家問題に関連する領域を扱う独自的=個別的なものであるが(5)、79年の講義以降、統治性はミクロ権力のレベルで個々の水準に注目するものとなる(6)。つまり、権力関係の偏在性と「出来事」であるその個々の関係を表すという、一般的かつ個別的な性質を示すようになるのである(7-8)。そしてこの個別的かつ一般的な統治性の概念は、現実の理解を通して現実の変革を導くという点で「政治的なもの」、つまり統治/抵抗関係の根幹である「政治化」とも考えられる概念と関わっていく。ここで用いられるのが、シュミットにおける「認識」と「決定」の問題である(8-9)。シュミットは「非政治化」に対する対抗としてこの概念を使用し、これが政治的なものの偏在性、すなわち「政治化」に重点を置くフーコーの解釈に連続していくのである(9-11)。ここから導き出される「一切が政治的である」ということは力関係、権力関係の偏在性に他ならず(11)、そうして権力と抵抗を常にセットで捉える権力観から統治性権力、「指導」における抵抗、「反-指導」の分析に進められる(12)。だがこれは戦争のモデルを軽視するものではなく、クラウゼヴィッツの命題を反転させた「政治は別の手段による戦争」という仮説は、力関係の偏在性の中での統治性/抵抗を示すものとして依然として有効なのである(13-14)。この政治は知・真理なしには存在し得ないものであり、またそこでは美学的な選択におけるもの以外、定言命法は存在せず、あるのは耐え難さ、感受性だけなのである(15-16)。例外として挙げられるのは不毛な論争を忌避するための定言命法、「政治をやるな」だけである(16-18)。ここでの耐え難さ、感受性はカントの世界市民としての義務や理性の公共的使用に比肩し得る「新しい権利」として考えられ、それは「統治に対する「耐え難さ」に我慢をしないという基本的感情であり、「人々の不幸が統治の無言の残余物であっては断じてならない」という道徳であり、「個人の意志」を「現実の中に書き込む」という変革なのである」(20-21)。こうした感受性の問題が倫理として扱われているのであり、「政治化」のためにも統治合理性の分析と批判が必要となってくるのだ(21-22)〔1-2〕。

 合理性は「支配」を媒介に現実と関係し、そしてフーコーの統治論、権力論は政治的合理性の分析であり、これは暴力とも関わる、といえる(23-24)。ここでフーコーはウェーバーやフランクフルト学派の伝統とは異なる道を進む。つまり、理性という価値によって合理性を測定するのでなく、実践として、命令のコード化、真・偽の定式化を通して分析することが重要となってくる(24-25)。指導=行動の諸プログラム化にはこれらの諸効果が含まれているのであるが、これらを真理の問題と共に歴史的な諸出来事の形態から把握することがフーコーの中心的なテーマとなる(26-27)。そして最後に①個別領域を分析すること、②その類型に着目すること、③系譜学的に分析すること、この三つを合理性批判の基本方針として挙げられていることに言及し、第一章を終える(27-28)〔1-3〕。


第二章 個別化する統治――キリスト教司牧 
第二章以下は78年度講義と79年度講義を中心に展開される 。まず述べられるのは国家理性の一般的特徴である。統治の問題群が提起され始めたのは16世紀であり、これは法的主権の問題と経済学の問題が相互に交わり合う、技術・合理性を扱う戦略的な領域なのである(29-30)。この時代の政治的な統治を定義する文献には三つの一般的な特徴が現れている。一つ目はマキアヴェリの『君主論』の原理とは反対のものとして提示される。マキアヴェリの原理における統治の目的は公国、君主の位、君主と国家の関係の守護、維持であり、マキアヴェリズムにおける統治術は「内外的な危険を評定する技術、もろもろの力関係を操作する政治戦略的な技術」という側面を持つ。これに対して反マキアヴェリズムの原理とは統治者の複数性を説くものであり、マキアヴェリズムにおける君主の外在性・超越性に対立する。フランソワ・ラ・モト・ル・ヴァイエールがこのような考察をしたものとして挙げられており、自己・家族・国家の統治という三つの領域の連続性が重要視されていた(31)。二つ目はラ・ペリエールによって統治は物の適切な配置である、と表された。これは法と領土とを中心的な要素と考える主権的な形式で政治を考えることとは異なり、この統治は法によって達成されえないものとして富・国力・人口などを対象とする(32)。そして三つ目には「忍耐・知恵・勤勉」が統治者の徳目として挙げられ、穏健かつ知性的で慕われることが統治上の利点として捉えられている(33)〔2-1-1〕。
このような統治理論はしばらくのあいだ強靭な君主制や、主権性の圧倒的な支配により発展が阻まれることになるのだが、人口の増大によりその重要性は次第に高まっていき、家族もその対象に組み入れられていく(33-34)〔2-1-2,2-1-3〕。
ここでこのように統治術が中心的な役割を果たすようになっても、主権の問題は衰えることがなく、これはルソーの『政治経済論』、『社会契約論』にも現れている。規律の問題も同様であり、主権・規律・統治の三つがカギとなってくる(34)〔2-1-4〕。

こうした統治の起源は古代オリエント・ヘブライ文明とそれを受け継いだキリスト教にある、とフーコーはみる。ここでフーコーがキリスト教において問題とするのは道徳ではなく、指導、統治、司牧の問題であることも忘れてはならない(35)〔2-2-1〕。
古代オリエント諸文明では、王、神、首長は人々に対する羊飼いであるというテーマが存在し、この司牧のテーマはヘブライ文明において強化される。これは四つの特徴を持ち、一つ目は場所に対してではなく移動する群れに対しての羊飼いの権力というものであり、次に司牧権力は羊・人々を慈しむという福祉的なものという特性を持つ。三つ目には威信や暴力ではなく献身や奉仕が、最後に一匹の羊を大切にするという個別化の特徴が挙げられる。このようにこの司牧権力は救済と暴力や、奉仕と服従等にみられるように非常に逆説的なものなのである(35-37)〔2-2-2〕。
そしてこれらの司牧のテーマは古代ギリシアにも存在するのであるが、それはオリエントの形式とは異なり、政治より下位の補助的な位置にあり、ここから権力の分析が出発させられることはない(38-39)〔2-2-3〕。
次にキリスト教であるが、ここでの戦争は司牧をめぐってのものであったとされ、幾多もの戦いを経て司牧は今でも存続しているのである(39-40)。このキリスト教司牧の特徴は、制度化(教会権力=司牧権力)、政治権力との分離、統治の諸技術の誕生の三つが挙げられる(40-42)〔2-2-4〕。
この初期段階に現れる根本原理は救済、法、真理の三つである。救済は各人に重点を置かれた、万人にして各人の救済を求められるものであり、法では全面的な依存関係に基づく絶対的な服従が示され、これは隷属-奉仕の関係をも生み出す。そして真理の問題としては完全な教育、良心の指導、良心の検査が挙げられる。こうしてキリスト教司牧において生み出されるのは個別化=個人化の様式であり、これは主体化の形式と強く結びつくものなのである(42-49)〔2-2-5〕。

次にフーコーは権力に抵抗が結びつくのと同様に、指導から切り離しえない反指導へと分析を進める。ここで、①指導と反指導の間の直接的かつ創設的な相互関係の存在、②指導をめぐる反乱の特殊性と自律性の測定可能性、③統治性への移植時に生じる反抗の形式の標定、この三つの仮説が立てられる。その例として次のことが示される。①に関してはキリスト教司牧自体がグノーシス派に対する抵抗として形成されたのではないかとされ、②ではルターの反乱が特殊性を帯びていても他の闘争に結び付けられている点では自律的ではないとされる。③に関しては従軍の拒否、秘密結社の発達、反医学運動が示される(49-53)。
そして中世における反指導として、禁欲主義、共同体、神秘主義、聖書、終末信仰の五つの形式が取り上げられる。司牧は禁欲主義への反対として発達した面があり多くの点でキリスト教と禁欲主義は相容れない。共同体では聖と俗という二形成が揺らがされ、神秘主義の真理の機構は司牧権力を逃れ、聖書は司牧の中継を必要としない。そして終末信仰では実際の司牧ではなく本当の司牧である神の再臨を望む。これらはキリスト教と相容れずその境界に位置するものであり、このような司牧権力の観点からは統治性の深部・背景の把握の可能性が期待される(54-59)〔2-3〕。

こうして第二章では司牧理性、司牧権力の合理性から個別化の合理性が分析されていく。この個別化の合理性の分析は全体化の合理性の考察にも欠かすことができないものであり、この個別化と全体化が統治合理性の二大枠組みとして対象となるのである(59-60)〔2-4〕。次の第三章ではこの全体化の部分である国家理性が扱われる。


第三章 全体化する統治――国家理性
 司牧から統治への変遷にはいくつかの原因が挙げられる。司牧の危機といわれる宗教改革や、人間の指導の発展がある。そして16-17世紀には宇宙の脱統治化と人々対する主権の存在により、自然原理と国家理性という大きな座標が生まれる。最初に国家理性論が出現したとき、それは大きなスキャンダルを引き起こした。反国家理性の言説には「マキアヴェリ」、「政治」、「国家」という三つの言葉が共通していた。マキアヴェリはそこに統治術が存在しないにも拘らず論争の中心になり、「政治」が統治について思考し、分析し、計算するという意味合いで使われ、「国家」という制度がこの時期に生まれたかのように「国家」という言葉が用いられるようになる。そしてフーコーは国家理性の理論を国家論としてではなく統治論として捉えていく(61-64)〔3-1〕。

 さて、イタリアのパラッツォは国家理性を国家の四つの特徴(領土、法という環境、身分に規定される諸個人の総体、この安定性)を持つ共和国が統合性を維持するときに必要なものであり、そのための手段の認識を可能にする規則・技術であるとする(64)。この定義では起源、合法性、王朝の問題の不在、そして終点の不在という新しい時間論が素描されている。では司牧、人々の統治で問題となっていた救済、服従、真実のテーマは、国家理性においてどうなっていくのだろうか(65)〔3-2-1〕。
まず、救済の問題としてクーデターが考えられる。クーデターは国家理性の肯定として法・合法性を中断するものである。その特徴として、法より優位である必然性、暴力性、そして政治的な誇示を要する演劇性が挙げられる。国家理性には常に暴力的な悲劇であるクーデターが付きまとうのである(66-68)〔3-2-2〕。
服従のテーマとして挙げられているのが暴動について書いたベーコンである。ベーコンは暴動の種類、原因、治療法などを示す。そして危険な暴動を防ぐために人民と貴族とに手を組ませないことの重要性を説く(68-69)〔3-2-3〕。
そして真実のテーマでは統計学が示される。知恵と慎慮に基づいていたこれまでの統治者とは変わり、必要とされる知は測定された各データとなる。また、もう一つ重要となるのは公衆の意見、世論である。世論の変化を誘導すること、そしてその世論の働きが真実の政治の一側面となるのである。だがここではまだ「人口」はそれほど中心的な概念として現前していない(69-71)〔3-2-4〕。
 
ところで、国家理性は国家の維持、安定化を任務とする側面と、国家の増大を原理とする側面が存在する。だが、ローマ帝国の消滅やキリスト教の分断によって各国家は競争関係に置かれるようになり、後者の国家増大論が一般的となる。そしてヨーロッパの均衡と自国の増大の両立を目標とするシステムが成立する(71-73)〔3-3-1〕。
ここでのヨーロッパという観念は新しいものであったが、均衡とは国家間の格差の制限、最強国の数の制限、小国の連合の可能性を意味するものであった。そこでは普遍的な平和が目標に設定され、そのために戦争、外交、軍隊の三つの道具が必要となった(73-75)〔3-3-2〕。

 次に、ポリスについてである。近代的な統治技術は「ヨーロッパの均衡」と「ポリス」という二つの装置による力関係の操作を伴う。ここでのポリスとは「公的権威によって支配される共同体の形態」という16世紀までの意味合いではなく、「国力を増大させる諸手段の総体」のことを指す。ヨーロッパの均衡のために各国は良いポリスを持たねばならず、この二つの装置の共通の道具として用いられたのが統計学であった。フランスのメイエールヌは統治術のためのポリスの実行に必要な四つの役所と四人の高官を示す。四つの役所とは、ポリス局(子供と若者の指導)、慈善局(貧者を担当)、商人局(市場、商業)そして土地局(不動産)である。ここでは道徳と主体としての人々も管理の対象となり、人々の活動が国力の増大と結びつくようにしなければならない。そのための道具・対象は、人々の数、生活の必要品、健康、活動への配慮、商品・生産物の交通=循環となる。国力の増大を考えても、人々がよりよい生を送ること、人々の幸福は17世紀のポリスの重要な対象となるのだ(75-80)〔3-4-1〕。
17世紀から18世紀初頭にかけて、ポリスと都市、市場とは密接に結びつくようになる。これは重商主義的な統治の実践と深く関係する。ここで都市-市場が人々の生への国家的な介入のモデルとして誕生する(80-81)〔3-4-2〕。
そしてこのような人々の生への介入は司法を通してではなく、規則、規律化を通して行われたのであった。18世紀前半までのポリスの実践は、以上のように商業、都市、規制、規律に特徴付けられる(82)〔3-4-3〕。
18世紀後半より現れるのが重農主義的、経済学的テーゼによるポリス国家批判である。まず穀物の低廉化を防ぎ良い値で買うことであり、これは農業からの視点によるもので都市を特権化するポリス・システムに再考を迫った。そうして穀物は公正価で安定するようになる。ここではポリスによってもたらされる規制に問いが付される。そして人口は自然に調整されるに任せるべきであり、自由貿易に対しては国家の規制を排して利害のメカニズムにより万人の幸福を実現させるべきなのである(83-85)〔3-4-4〕。
このような流れから経済学者による新しい統治性が始まる。まず経済学者は自然と断絶した国家に社会の自然性(共住、交換、生産するときの)と呼ばれる別の自然性をもたらす。次に重商主義者たちによっては提起されなかった科学的認識である。統治はこの科学性に基づいた知を要するようになる。三つ目は固有の法則を想定された人口の問題であり、四つ目はあからさまな規制ではなく操作を中心とする介入である。最後に自由を統治の条件として、ここでのポリスのシステムは経済、人口、自由と権利の尊重、警察、外交的-軍事的装置という新しいものとなる。さて、司牧が反-指導をもたらしたのと同様、国家理性にも反-指導と呼ばれるものは切り離しえない。ここでは市民社会、人口、国民が国家の対立項として現れる(85-89)〔3-4-5〕。
 
司牧理性が個別化であったのに対し、国家理性は全体化する合理性である。救済、服従、真実のメカニズムの比較によりこの関連性をフーコーは示す。国家理性は個々人の生にも介入するという面では個別化の要素も持つのだが、次第にその統治の過剰さが目立っていき、その反-指導として現れるのが自由主義的な新しい統治性である。そしてここでの国家-市民社会の対立の図式は、権力と抵抗との関係を念頭に指導-反指導のモデルに基づいているため(どちらも権力の所有を前提とする党派的な立場であるため)、フーコーは市民社会論に依拠することはないのである(89-91)〔3-5〕。
[PR]

by kokem-omo | 2008-05-11 21:59  

<< 上野千鶴子ゼミ 辻元清美とNPO 「ミシェル・フーコーの統治合理... >>